映画人九条の会結成2周年に寄せられた映画人のメッセージ

 映画人九条の会は、今年11月24日で結成2周年を迎えました。映画人九条の会2周年に際して、映画人の方々から熱いメッセージが寄せられましたので、ご紹介します。(順不同)

 下の一文は、映画監督の新藤兼人さんのメッセージです。

「戦争はいやだ」新藤兼人
山田洋次 (映画監督)
 大事なことは、志を同じくする人々が元気をつけ合うことだけでなく、外部から国を守るためには軍隊はあった方がいいと考えている人や、政治に全然関心がなくて投票にも行かないような大勢の人たちに、どうすれば九条改変を含めた新憲法制定の問題に真面目な関心を持ってもらい、国民的な議論の輪に参加してもらえるか、ということだと思います。
非戦の願いを込めて  吉永小百合 (女優)
 2006年は、61年前を深く見つめた日本映画が、何本も封切られました。「紙屋悦子の青春」「出口のない海」そしてドキュメンタリーの「蟻の兵隊」。映画人の非戦・平和への思いが、しっかりと伝わってきて、胸が熱くなりました。
 今年私は、山田洋次監督の「(かあ)べえ」に出演します。1940年からの暗黒の時代を、懸命に生きた家族の映画です。
 戦争に反対して投獄されてしまった夫の代わりに働きながら、子供を育てる母親役。どこまで演じられるか分かりません。でも、日本が二度と戦争への道を進まないようにと祈りながら、この役にしっかりと取り組みます。
香川京子 (女優)
 私が最近出演させて頂いた映画「赤い鯨と白い蛇」の中で、昭和20年、戦争の末期に、特殊潜航艇の特攻隊の隊員として出動する任務を負った、若い海軍の少尉が、「戦争のために、僕は正直に生きられませんでした」という手紙を遺すシーンがあります。戦争は、個人の心の自由まで奪ってしまうもの。そう考えただけで恐ろしくなります。あの暗い時代が二度と来ないよう、それを体験した世代も、全く知らない次の世代の人達も、皆が真剣に考えなければならない時に来ていると思います。「命の尊さ」を言うなら、まず「平和」が根本でなければならないのですから。
私の想い  羽田澄子 (記録映画作家)
 私は1926年生まれ。数え年だった当事の記憶でいえば、六つのときに満州事変、九つで満州国の成立、十一歳で二・二六事件、十二歳で支那事変つまり日中戦争、十六歳で大東亜戦争つまり太平洋戦争、二十歳で終戦つまり敗戦。
 成人するまでの記憶は戦争の連続だった。まだ幼稚園の頃、近所の子供たちとの遊びは「戦争ごっこ」。男の子はみんな「お国のために兵隊さんになる」といった。それが今でいう「カッコイイ」ことだった。
 私も日本は正義のために、大東亜共栄圏のために戦争していると思っていた。いや、そう思い込まされていた。
 私の家は当時の関東州、いまの中国東北地区の旅順だった。女学校を出た私は東京の学校(自由学園)に入っていたが、東京空襲が始まった時は学徒動員されて、「零戦」で有名な中島飛行機製作所で旋盤工として働いていた。東京大空襲の最初の爆弾はこの製作所に落とされている。私が避難した防空壕から10メートルほどのところにも落ちている。再三の空襲で同級生の一人はこの工場で直撃弾を受けて亡くなった。
 もう一人の同級生は広島の原爆で亡くなっている。小学校の同級の男の子二人は特攻隊で亡くなった。私も「何時、死ぬかもしれない。そのとき恥ずかしくない死に方ができるかしら」と本気で思っていたし、夕方、友達と「さよなら」と別れるとき、「これが最後になるかもしれない」と思ったものである。
 終戦になって、知らされてなかった戦争の真実を知ったとき、私はほんとうに目が覚める想いに捉われた。憲法9条は宝物と思った。ながい戦争のなかで、命を失った多くの人たちの犠牲によって、手にした尊い平和である。それを守る9条である。
 何も知らずに戦争の時代を生きていた私のような子供をつくろうとする教育、そして戦争を可能にする憲法が作られようとしていることに、大きな不安を感じ、九条を守ることは当然のことと思う。
小山内美江子 (脚本家)
 戦後生まれの首相に戦争体験はないけれど、親からちゃんと「九条」について聞いて育ったのだろうか。
 昭和20年8月15日に生き残れた日本人がどれほどの感動で新憲法を迎えたか、歴史認識として勉強しなおして欲しい。
恩地日出夫 (映画監督)
 僕にとって、敗戦体験は映画づくりの原点となっている。
 というより、当時12歳だったことから、人間としてのスタート地点であったともいえる。
 そして、新憲法、とりわけ9条に代表される平和主義は、生きる指針となった。それは60年以上たったいまも変わらない。
川上皓市 (キャメラマン/日本映画撮影監督協会)
 「映画人九条の会・結成呼びかけ人」のひとりでもあった黒木和雄監督の遺作となってしまった映画「紙屋悦子の青春」には、静かな語り口の中に黒木監督の深くて強い反戦の想いがありました。
 私はキャメラマンとして、その想いに精一杯寄り添って撮影したつもりですが、これからもその想いを大切にして生きていかなければならないと思っています。
朝原雄三 (映画監督)
 たいした映画も撮っていませんが、今回ばかりは身の危険を感じ、発言の機会あれば、厚顔をかえりみず、声をあげさせていただきます。
 なにがあっても憲法九条を守りましょう!
ジャン・ユンカーマン (記録映画作家)
 最近、特に北朝鮮の核実験の後、「現実派」と称する政治家や知識人が「現実が変わったから」という理屈で、ミサイル防衛や集団的自衛から核兵器開発まで、日本の再軍備を推進するよう主張しています。戦争を放棄する憲法が「非現実的だ」というのです。
 一方、世界一強い軍事力を持つ私の国アメリカでは、別の意味の「現実派」が最近現れて来ました。イラク戦争の悲劇を目の前にして、この新しい「現実派」がアメリカの戦略が間違っていると主張するようになりました。イラク戦争も四年目の今、何十万人の犠牲者をだして、内戦状態に陥ってようやく、多くのアメリカ人がその現実に目覚めたということです。
 21世紀に武力で国際問題を解決しようとすることは現実的ではありません。妄想的だと思います。「無防備では国を守れない」と言われますがイラク戦争でも明らかになっているように、武力は無力です。軍事力に膨大な予算を注ぎ込むアメリカも日本も国の財産を無駄にしている。地球温暖化や食料問題など、深刻な問題が地球を圧迫しているなか、そんな無駄遣いは無責任で非現実的です。
 戦争を放棄する日本国憲法は、21世紀にふさわしい、極めて現実的な憲法です。
学んで、活かして、輝かそう  大澤 豊 (「日本の青空」監督)
 平和憲法を改悪させてはならない。その強い意志のもとに結集したスタッフ・キャスト約百名で劇映画「日本の青空」はクランクインした。
 現行憲法は、GHQが身勝手につくって、日本に押しつけたという改憲論者たちがいる。法律に素人な軍人たちが、僅か一週間余りでつくった、粗製乱雑な憲法だという自主憲法制定論者たちがいる。
 本当にそうなのだろうか。
 私たちは一年半余り、入念に憲法制定過程を調査し、歴史的真実に基づいて脚本を練り上げた。そして、GHQが、在野の憲法学者・鈴木安蔵たち私的グループ(憲法研究会)による憲法草案を重視し、参照してつくられた事実を確かめた。
 ″日本国ノ統治権ハ国民ヨリ発ス″
 ″天皇ハ国政ヲ親(ミズカ)ラセズ国家的儀礼ヲ司(ツカサド)ル″
 など、GHQが手本にしたことが関係文書によって明らかにされている。
 日本国憲法は、決してマッカーサーやGHQに押しつけられたのではなく、明治の自由民権思想や大正デモクラシーを受け継ぐ日本人がつくった日本の憲法である。
 このことを映画で示し、憲法問題に関心の薄い若者たちに伝えたい。
 いまこそ憲法を学び、暮らしに活かし、世界に輝かそうと。
 そのために、スタッフ・キャスト一同、三月完成めざし懸命に頑張っています。乞うご期待!!
ドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」第一編「戦争をしない国 日本」(90分)を完成させて  片桐直樹 (映画監督)
 「映画人九条の会」の会員として我々は何ができるか? と、同じ時代を生きてきた仲間と語らい、やはり「映画を創ること」ではないか、ということからドキュメンタリー映画「シリーズ憲法と共に歩む」の企画が始まりました。仲間とは共に独立プロで育った橘佑典、大澤豊両監督です。
 私たち戦場体験はなくとも、戦争体験を持つ70歳を越えた人間にとって、日本国憲法を誇りに感じこそすれ、憲法改悪などとんでもない。と考えて生きてきました。ところが、60%の国民が憲法改正に賛成という、ある新聞社世論調査を見たとき愕然としました。
 一体私たちは何をしてきたのか、たしかに戦後生まれが人口の過半数を越え、戦争体験者が少なくなったとは言え、二度と戦争はしない、戦力を持たないと誓った国民の思いを次世代に伝えてこなかった。基本的人権の尊重、主権在民、平和主義の三原則の憲法を守ったからこそ、今日まで平和で生きてきた。ということを感じなかった。という結果がこの数字に表れているのではないかと思うと、深く反省せざるを得ませんでした。
 そこで、原点に立ち返って、何故、人権尊重、国民主権、平和主義を根本に据えた日本国憲法ができたのか、その結果、日本はどのように変わったのか、政府や各界はこの憲法にどのように向かい合ってきたのか、を戦前から今日に至るまでの歴史的事実を映像によって検証しようと考えました。その基本を記録映像に絞り、憲法公布から今日まで「憲法とともに歩んできた」その歩みをドキュメンタリーのシリーズとしてつくろうと企画したのです。
 「戦争をしない国 日本」はその第一作です。第一作は三原則の基本でもある平和主義に基をおき、どんな状況の中で日本国憲法ができたのか、憲法公布以来60年、本来憲法は国民の権利・自由を保障するために国家権力を制限する法ですが、憲法に対して国家権力である日本国政府はどう対処してきたのか、それに対して国民はどう立ち向かってきたのかを、第九条を軸に描きました。
 映画は今日の日本の状況〜アメリカの世界戦略の中の日本の自衛隊や基地再編問題、教育基本法の改悪のたくらみ、戦争する国への道を辿ろうとする姿をプロローグとして始まります。「戦争をする国」の憲法とはどんなものであったのか、そして戦争、その反省として生れた日本国憲法。公布後60年の映像は常に憲法を守らせる側にたって闘って来た人々の映像であり、50年代からの民主的独立プロの記録映像です。多くの方々の上映ご協力をお願いします。
池田博穂 (映画監督)
真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず
村を破らず 人を殺さざるべし
 120年前、足尾鉱毒事件で世界に先駆けて公害を告発し、被害民たちの基本的人権を守る戦いを指導した田中正造の言葉です。
 私は、その生涯を描いたドキュメンタリー映画「赤貧洗うがごとき」─田中正造と野に叫ぶ人々─を完成させました。
 また正造は日露戦争直前に、「陸海軍を全廃して軍事費を人民の福祉に振り向けるべきである」「小生の主義は無戦論にて、世界各国みな陸海軍全廃を希望し、かつ祈るものに候」とも言っています。正鵠を得た数々の言葉から、今日を生きる我々が得るものは多いと思う。製作していく過程で、封建的な時代にも日本国憲法の5原則の精神を主張し身をもって行動した人がたくさんいたことを実感しました。
 日本国憲法は“アメリカの押し付け”と言う人も多いが、そこには先人たちの思想が脈々と流れており、戦争により内外で悲惨な被害をだした国民の反省と決意が込められています。この憲法の下、60年間にわたり戦争によって1人の犠牲者も出さず殺してもいないという事実を改憲論者は、どう評価するのだろうか。
 憲法9条を変える先にあるのは「徴兵制」であり、アメリカ指揮下での集団自衛権の行使です。アメリカの利益は日本の利益ということで、戦争を行うことになるのです。
 「戦争は内から始まる」といわれますが、今の日本は日の丸・君が代強制、共謀罪や教育基本法の目論見などからも「その前夜」と言わざるを得ません。
 私は誰にも遠慮せずに自分の思ったことを主張する映画を作り続けたい。
 そのためにこそ作品や行動を通して、戦っていきます。
 

【映画人九条の会運営委員からのメッセージ】

映画人九条の会運営委員の方々からもメッセージが届いています。

九条を変えた時、何が起きるか、“映画に自由がなかった時”のことを語りながら……  羽渕三良 (日本映画復興会議事務局長代行/映画評論家)
 九条を変えた時、実際に何が起るか。自衛隊が自衛軍になったら、どうなるか。日本と世界の関係が、どうなるか。戦争をしない国・日本として、世界に信頼されてきた日本が、アメリカが侵略する戦争に、一緒になって、戦争をする日本になった時、世界の中では、アジアや世界から孤立し、最も嫌われる、危険な日本へ。日本国内にあっては、政治、経済、文化など、あらゆる分野で、軍事・軍事思想優先の、民主主義や人権、国民生活が、徹底的に抑圧される国に。
 逆に、九条を日本国民の多数で、守りぬいたなら、私たちの目の前に、どんな日本が切り開けるか。新しい希望へと続く日本の第一歩となることは、間違いないだろう。
 そんな想いを前提に、映画人として「憲法と映画」というテーマで、呼ばれて、話をする時、欠かさないで、語っている、二つのことがある。
 一つは、アジア太平洋戦争末期に、「現在ノママデ戦争ヲツヅケルカギリスベテ絶望デアル」と、「戦争中止ヲ望ム」という文章を書き、戦後、戦犯に関連して、自分自身の解剖と分析を、徹底的に改造する努力の中で、新しい日本に向けて乗り越えよう、と「戦争責任の問題」という、誠実な文章を残した、伊丹万作のこと、である(「伊丹万作全集」三巻 筑摩書房がある)。
 もう一つは、1946年11月に、日本国憲法が成立したが、1952年4月、サンフランシスコ条約発効まで、日本の憲法や法規を優越して、支配したアメリカ占領軍・最高の権力者が行ったことについて。アメリカ占領政策への批判者は、逮捕され、軍事裁判へ。映画の分野では、広島、長崎の惨状を記録したフイルムを占領軍が没収、アメリカ本国へ。「日本の悲劇」(亀井文夫監督の記録映画)は、GHQによる上映禁止。GHQ指導で、憲法九条をテーマにした映画「戦争と平和」(亀井文夫、山本薩夫監督)について、民衆の平和を求める場面は、アメリカ占領軍の検閲でカット。さらに、GHQが、フランス映画「鉄路のたたかい」について反ナチ部分はズタズタにカットなど、今日につづく、日本におけるアメリカ映画の独占的体制を構築した、ことなど。
 憲法九条を変えることを、誰が注文し続けてきたか。前述した、日本のアメリカ軍の占領の、東西冷戦体制に入った時代の1948年、アメリカのロイヤル陸軍長官が、日本を極東の「反共の防壁」と宣言して以来、それは、アメリカだ、ということを付け加えながら、語っている。
 さて安倍首相は、憲法前文を「侘(わ)び証文だ」「『戦後レジーム』からの脱却」のため、「5年をめどに憲法改正を考えたい」として、改憲そのもののための、国民投票法案成立を急いでいる、切迫する今日の情勢。
 私は、「映画人九条の会」に、皆さんといっしょに、私の仕事と日常生活の中で、とりわけ、比重を置いて、いま、参加している。
金山圭子 (映画人九条の会運営委員)
 防衛庁が「省」に昇格する事がすんなりと衆院を通過し、今国会の成立を目指している。「省」になっても実質的な違いはないという。名前が変わったからといって軍国主義が復活する訳ではないという……そうだろうか?
 戦後日本は先の戦争の深い反省にたって、平和憲法のもと「もう決して戦争はしない」という強い決意を国内外に宣言してきた。
 ところが近年「押し付けられた憲法だ」「時代に合わない」「手直しは当然だ」とする風潮が強まり、憲法改定が当然の事のように叫ばれ、安倍首相は「5年後」に憲法を改定すると明言し、国会では改憲手続法の審議が始まっている。
 「教育基本法」も今国会の成立を目指し必死だ。日本はどんどん戦争が出来る国になるための準備を着々と進めているように見える。
 そんな国にしてはならない。
 「子供たちが健やかに育つ国に」この思いは、孫が生まれてますます強まっている。
 戦争のない平和で豊かな世界、子供たちが希望を持てる国に、戦争放棄を謳った九条こそ世界に広めて行くべき日本の誇りある憲法だと思う。
 だからこそ守りたい、守らねばならないと思うのです。
 憲法を守る闘いが国民的な運動に広まっていくためにも、九条の会をもっともっと発展させなければならないと思う。
今、やるべきこと  馬場和夫 (映画人九条の会運営委員)
 アメリカに盲従して戦争に参加する国に変えようという企てを阻むべく、「九条の会」に参加したが、会報を読み、催事に出席するだけでなく、もっと積極的に行動する施策はないのか──と思っている方が多いのではないだろうか。
 映画人は、直接・間接に自分に関わった作品を通して大衆に語りかける仕事をしているのだが、仕事以外の日常行動に於いても、九条を守るために働く分野がある筈である。
 私を含めて自分の周囲の人たちを見渡したとき、「反対しても数の力で暴走する今の体制ではどうせ成立してしまう」「北朝鮮みたいな国が近くにいるのだから、国を守るために必要ではないか」「改憲されても、民主主義の時代なら抵抗する方法はいくらでもある」等々と考えている人たちが、まだまだ多くいることに気がつく。
 半世紀の余を経ても、嘗ての明らかな侵略戦争への反省を欠く日本という国に生きていると、知らぬ間に去勢されて、不正への怒りや反撃を忘れてしまっている。その知らぬ間にというのが恐ろしいし、陥穽なのだ。
 戦前の治安維持法という極悪な言論封殺法律でも、当初は治安警察法という最高刑でも禁固一年という生ぬるいものだったのが、知らぬ間に死刑まで課せられる悪法に変わり、言論の自由を完全に奪われたことでも明らかなように、一つの小さな切り口を許すと、体制の思うままにエスカレートする。教育基本法の改悪然り。愛国心などというものは、国のために(天皇を含め)命を捨てる美しい国民を育てる突破口である。
 映画は、文学・美術などの文化の中でも演劇と共に最も直接的に大衆の心に影響を与える芸術であり、私たち映画人は常に社会の動向を注視し、人間の嗜好・心情に敏感で、体制への批判の目を開いていなければならない。
 あの弾圧下の戦前でさえ、優れた作家たちはその作品に本心と志を秘めて作った。まして戦後は、企業内でも、企業を追われた人たちも、数々の志豊な作品を生み出し、今の若い人々はDVDなどの発達によって古い作品に感動し、触発されている。
 九条改悪に関心の薄い若者たちで、古い映画に感激して今の日本の歪みに目覚めた実例を幾つも聞く。ましてや同じ映画人仲間にいる無関心派はもとより、日頃接触する友人・知人に語りかけ、意識を改めさせる力は映画人である私たちだからこそ可能なものを貯えているのだと考える。
 暴力的で理不尽な国会運営を黙視していれば、忽ち戦前の暗黒社会に突き戻されるのは明らかである。「九条の会」に集まった私たちが、今やること、やらねばならぬことは山積していると信じる。深く自戒を籠めて……。